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まえがき(一部抜粋)
1998年の夏にロンドンを訪れた際、図書館めぐりの合間に見に行きたいとひそかに楽しみにしていたことが二つあった。両方ともシェイクスピアに関連するもので、その一つは、新装なったシェイクスピアの「新グローブ座」の見学だった。
今から四百年前、シェイクスピアは自分の作品を上演する拠点として、ロンドン塔の向かい側にあるテムズ川沿いの地に常設小屋を持った。グローブ(地球)座である。
1644年、清教徒によって破壊されたあと再建されないままになっていたのだが、1994年、アメリカ人の俳優サム・ワナメーカーが私財を投げ打って、旧グローブ座跡地に「新グローブ座」をオープンしたのである。(中略)
もう一つの楽しみは、グローブ座とは反対側のテムズ河畔にたたずむテートギャラリーでミレイの描いた「オフェリヤ」の絵を見ることだった。(中略)
近衛は『草枕』の中で繰り返し言及され、作品の重要なモチーフになっている。前田愛氏はkの絵が「登場する画家、ひいては漱石がもっていたある強迫観念を表している」(『世紀末と桃源郷「草枕」をめぐって』126頁)と評した。ミレイの描いたオフェリヤ像が漱石に強烈な印象を与えたのは想像に難くないだろう。今から百年前、留学先のロンドンでミレイの絵の前に立った漱石はどんな思いでこの絵を見たのだろう---そう考えて、私はその前からしばらく離れることができなかった。
英文学を研究してる者の観点から見ると、シェイクスピアの劇作品『ハムレット』が画家ミレイにインスピレーションを与え、ミレイの絵が小説家漱石にインスピレーションを与えて『草枕』のモチーフになったことは、大変興味深く思われる。劇作家から絵画へ、そして絵画から小説家へと、異なるジャンルの作品に影響を与えたこと、しかしそれ以上に、『ハムレット』が小説家漱石の内的世界の形成に大きくあずかったであろうことに関心を覚えた。
(中略)
本書の第一部では、漱石の『ハムレット」体験、『ハムレット』に材をとった俳句、そして小説『草枕』を手がかりに、シェイクスピアからの証明をあてることで漱石文学の実態の一端が明らかになるかもしれない。
第二部では、近代の日本を代表する作家たちと『ハムレット」がどう紹介されたかについて考察したものを収録した。「ピジン日本語のハムレット」は、明治7年『ジャパン・パンチ』誌に載ったものだが、現在、大方の研究者はこれを日本での最初の翻訳また本邦初演のハムレットとみなしている。しかしこのハムレットは画家ワーグマンの風刺的な創作であることを検証した。最終章の「ハムレットの独白-To
be,or not to be」は翻訳を通してみられる日本的な心性について言及したものである。『ハムレット』の受容を多角的にとらえようとした試みのひとつである。 |
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